神さまによる電卓を使った俺へのメッセージ = 2021年8月16日・朝

 

f:id:kenn1rou:20210816090759j:plain

 

「憲一郎だ」と神さまが言ってくれた。「6」。「憲一郎だ」と。ありがとうございます。

 

 …と、いまこれを、このブログを書いていたらカラスが、ハシブトガラスが鳴いた。何度も何度も鳴いた。たとえば、4回鳴いた。「4」。「そんな感じでいい」と。ありがとうございます。

 

 さて、この投稿の写真に写っている電卓の表示部分には、「0」(ゼロ)が並んでいる。6個ならんでいる。

 

 この、「0」(ゼロ)が「6個」だということ。今回の、神さまによる電卓を使った俺へのメッセージを理解するうえで、その数(かず)の「6個」の「6」が、これが大事だと、俺はとらえる。数字が「0」(ゼロ)であるというのももちろん大事なのだが、ここではそには触れずにおきたい。

 

 神さまと俺とのあいだで、いわばお互いに共有されている、いわばお互いに了解されている、数かず)についての意味づけというか定義づけというか、そういうものがある。それでいうと「6」は、「6」という数(かず)の、意味づけなり定義づけはというと、それは「憲一郎」だということ。この「憲一郎」というのは、俺の名前、安達憲一郎の下の名前の、「憲一郎」である。

 神さまが、2021年8月16日の朝、俺の電卓に0(ゼロ)という数字を6個並べて表示させることにより、「6」。つまり「憲一郎だ」と言ってくれた、と。電卓が伝えてくれた、と。「憲一郎だ」と伝えてくれた、と。神さまが言ってくれた、と。「憲一郎だ」と言ってくれた、と。そういうこと。

 

 神のつかいは、たとえば、カラスのような自然である。

 

 神のつかいは、たとえば、自然である鉱物などをつかってできた、繰り返すが、その鉱物という「自然」をつかって人間がつくりあげたもの。たとえば、電卓のようなそういうもの。その、「人間がつくったもの」も、神のつかいである。

 

 今回の投稿内容からすれば、電卓が神のつかいなのである。