2016年4月4日 その2

 

 2015年11月4日付の作文

 (「2015年11月4日」= 安達憲一郎のブログ  参照  )

 について

 

 

2015年11月4日付の作文、

(「2015年11月4日」= 安達憲一郎のブログ  参照  )

について、

“訂正”を重ねたこともあり、

 

また、

 

この間、

いろいろと、

体験したこともあるので、

そういうものを、

含めて、

ここで、

整理しておきたい、

と、

思う。

 

さて、

まず、

 

2015年11月4日付の作文、

(「2015年11月4日」= 安達憲一郎のブログ  参照  )

で、

見出しとして掲げている、

 

  ☆「今持っている

    問題意識のようなもの」、

 

については、

最初7つあったものが、

4つ減って、

次の3つになった。

 

 昆虫や、鳥や、動物など、

自然としてくくれるもの

 

 自然としてくくれるのかどうか分からないが、

人間の作ったモノ。生物ではないが、モノに宿る

何者か?

 

 プレートのようなものも含めて、地球まるごとの、

生物だけでなく、地殻的なものを含めて、

地球まるごと。自然?

 

この、

A・B・C、

の、

それぞれについて、

 

“項目”ごとに、

この間の体験などを、

含めて、

少し、

書いてみよう、

と、

思う。

 

A 「昆虫や、鳥や、動物など、

       自然としてくくれるもの」

       について

 

① 「昆虫」について

  

具体的には、

次のようなものであり、

これらは、

「自然」、

として、

くくることができる。

   

 <家の中で> 

 

  クモ  ハエ  カ(蚊)

 

 <庭で、また、ウォーキングの時に>

 

  チョウ

 

*「映画」では、

神のつかいとして、

登場する。

 

② 「鳥」について

 

具体的には、

次のようなものであり、

これらは、

「自然」として、

くくることができる。

カラス

スズメ

海鳥(カモメ?コアジサシ?)

ハト

など

 

*これらの、

野鳥は、

「映画」の中では、

ウォーキングの時、

などに、

神のつかい、

として、

登場してくる。

 

③ 「動物」について

 

具体的には、

次のようなものであり、

これらは、

「自然」として、

くくることができる。

 

のらネコ

 

飼い犬

  

<のらネコについて>

 

「映画」では、

ウォーキングの時などに、

のらネコが、

神のつかいとして、

登場する。

 

<飼い犬について>

 

飼い犬については、

「映画」では、

神のつかい、

なのかどうか、

ちょっと、

分かりづらい、

と思う。

   

しかし、

   

どうやら、

  

これ

(飼い犬)

も、

  

まあ、

当然ではあるが、

自然、

であり、

 

これまた、

神のつかい、

に含まれる、

と、

言ってよさそうだ。

こういう、

確信を、

俺は、

得た。

 

さて、

ちょっと、

視点が違うが、

飼い犬について、

俺は、

次のような、

考えも、

持っている。

 

彼ら(飼い犬)は、

自分たちを、

本当に大事にしてくれる

(真の意味で大事にしてくれる)、

人間(飼い主)、

を、

自分たちにとっての、

いわば、

“正義の味方”(英雄)、

のようなもの、

と、

とらえている、

  

と、

俺は、

にらんでいる。

 

飼い犬も含めて、

いま、

「ペット」

というものが、

置かれている、

情況、

  

飼い主に、

捨てられ、

大量に、

「殺処分」されている、

情況が、

 

厳然たる、

事実として、

ある。

 

自分たちが、

大量に、

「殺処分」、

されている、

殺されている、

のに、

殺している人間、

を、

 

自分たち(飼い犬)を、

本当に大事にしてくれる、

人間(飼い主)、

を、

  

自分たちにとっての、

 “正義の味方”(英雄)、

だ、

 

彼ら(飼い犬)は、

言っている、

と、

俺は、

見ている。

実は、

彼らは、

「ある方法」で、

このことを、

俺に、

伝えてきた。

 

まあ、

その「方法」、

は、

この際、

ちょっと、

置いておく、

として、

 

彼らが、

言わんとしていることを、

 

俺が、

考える、

このことについての、

理由(背景)を、

次に、

書いておこう。

 

彼らは、

俺の母親を、

自分たちにとっての、

“正義の味方”(英雄)だ、

と、

言った。

 

というのも、

俺の母親は、

以前に、

犬を飼っていて、

俺は、

母が、

その犬を、

本当に、

大事にしていたことを、

よく知っている。

  

ある時、

俺が、

(俺の)母親を、

罵倒していたら、

彼ら(飼い犬)が、

俺に対して、

こう、

言ってきた。

 

「(俺の)母親は、

彼ら(飼い犬)にとって、

“正義の味方”(英雄)だ」、

 

と、

言った。

 

俺は、

直感的に、

 

彼ら(飼い犬)は、

 

彼らを、

 

本当に大事にしてくれる、

(真の意味で大事にしてくれる)

人間を、

 

自分の直接の飼い主でなくても、

 

その人間は、

(自分たちを、

本当に、

大事にしてくれる、

人間は)

 

自分たちにとっての、

いわば、

“正義の味方”(英雄)、

である、

 

と、

 

彼ら(飼い犬)は、

そう、

言ったのだ、

と、

俺は、

思った。

 

彼らの、

この“意思”を聞いて、

納得した俺は、

 

野鳥や、

のらネコと違い、

人間に、

飼いならされている、

という意味で、

飼い犬は、

 

いわば、

「自然」感

が、

損なわれている部分があることは、

否めないが、

 

それでも、

彼ら(飼い犬)、

は、

 

やはり、

「自然」であり、

神のつかいであることに、

変わりはない、

と、

俺は、

思った。

 

B 「自然としてくくれるかどうか分からないが、

  人間のつくったモノ。生物ではないが、

  モノに宿る何者か?」

  について

 

「モノ」とは、

具体的には、

次のようなものだ。

 

オーディオ

(CD、

USBメモリー

SDカード、

オーディオのラジオ)

パソコン

音楽配信サービス)

電卓

(数字の出るところ)

DVDプレイヤー

(DVDの録画)

 

*「映画」では、

 オーディオでCDをかけたときなどに、

 「モノに宿る何者か」が、

登場する。

 

*「何者か」は、

間違いなく、

神さま、

だ。

「宿る」というより、

たとえば、

オーディオは、

神のつかいであり、

CDをかけた時などに、

神さまが、

登場する。

 

 

C 「プレートのようなものも含めて、

  地球まるごとの、

  生物だけでなく、

  地殻的なものを含めて、

  地球まるごと」

  について

 

 

この中にある、

 

「地殻的なものを含めて、

地球まるごと」、

 

という発想は、

 

2015年11月20日付の作文、

タイトル 「『映画』を見た人への参考資料として」、

(「2015年11月20日」= 安達憲一郎ブログ  参照  )、

の中の、

 

「9.まとめ」の⑧に、

書いてあるもの、

 

から得た、

と、

言って、

いいと思う。

  

この中

(「9.まとめ」の⑧)

に、

  

「太陽」

「雨」

地震

  

というような、

いわば、

“項目”があり、

特に、

この3つの、

“項目”から、

 

「地殻的なものを含めて、

地球まるごと」

 

というような、

発想を、

俺は、

したのだろう、

と、

思う。

 

ちなみに、

「『9.まとめ』の⑧」、

を、

そのまま、

書いておくと、

次のとおり、

だ。

 

 

「自然とは、

具体的には、

太陽

地震

鳥(スズメ)

のら猫

飼い犬

庭の花

とか、

いうものだ」

 

さて、

 

<2015年11月20日付の作文

 (「2015年11月20日 」= 安達憲一郎ブログ  参照  )>

を書いた後、

 

そのあとに体験したこと、

で、

 

「映画」にも登場した、

なかなか、

印象深い、

次のシーンを、

ここでは、

記録しておこう。

それは、

 

地震

 

に、

関わるもの、

である。

 

 

2016年1月24日(日)の、

朝、

 

のことだ。

 

この時、

俺は、

自宅の、

部屋で、

 

「かずみさんだ」、

 

「これが最後のカードだ」、

 

「俺の勝ちだ」、

 

と、

言った。

 

すると、

地震が起きた。

 

 

2015年11月20日付の作文、

「2015年11月20日」= 安達憲一郎ブログ  参照 

 

に出てくるのと同じ、

震度2ぐらいの、

弱い地震だった。

俺は、

この地震を、

神さまが、

俺の、

言葉に、

反応して、

応えている、

 

もっと言えば、

 

神さまが、

俺の、

この言葉に、

感動している、

と、

そんな、

感じ、

として、

この地震の意味を、

とらえた

(解釈した)。

 

この、

神さまの、

“言葉”としての、

地震は、

俺は、

すでに、

何度か、

体験済みだった。

(これまで<今現在までで言うと>、

あわせて、

4回ぐらいは、体験している)。

 

だもんだから、

俺は、

この時、

すごく、

落ち着いていて、

 

そして、

神さまに応える意味で、

「ありがとうございます」

と、

口に、

出して、

言った。

 

この時に、

俺の部屋で起きた、

この、

地震は、

神さまの、

“言葉”であることは、

疑いようのない、

事実だ。

 

俺は、

もう、

この時、

すでに、

こう、

迷いなく、

確信していた。

 

そして、

最後に、

壮大な仮説を持ち出せば、

 

「地球まるごと」、

が、

いわば“自然”であり、

「地球まるごと」が、

「神のつかい」としての、

役割を果たしている。

 

そう、

見ても、

いいんじゃないか。

 

と、

いうもの。

 

こんな、

いわば、

 

「地球まるごと 神のつかい説」、

 

と、

言えるものさえ、

 

俺は、

俺の“仮説”、

として、

持っている。