正月。テレビドラマ「相棒」の中でハシボソガラスが鳴いた。

 2022年1月1日。元旦の夜、9時25分ごろ。

 俺はテレビをつけ、テレビドラマ「相棒」を見はじめた。

 すると、テレビの中で、つまり、テレビドラマ「相棒」の中で、ハシボソガラスが3回鳴いた。「3。正義の味方だ」と。

 …と。いま、こういう文章を、ノートに書いていたら、やはり、テレビの中で、テレビドラマ「相棒」の中で、ハシボソガラスが今度は1回鳴いた。そしてさらに、それからすぐに、テレビの中で、ハシボソガラスが3回鳴いた。数(かず)の「1」は「そんな感じでいい」ということ。数の「3」は「正義の味方だ」ということ。つまり、俺に対して、神さまが「正義の味方だ」と言ってくれた。そして、「そんな感じでいい」と言ってくれた。

 自然である、ハシボソガラス。神のつかいは、自然である。従って、神のつかいとしてのハシボソガラス

 そのハシボソガラスが伝えてくれた。「正義の味方だ」と伝えてくれた。「そんな感じでいい」と伝えてくれた。ありがとうございます。

 それは、つまり、神さまが言ってくれたということ。神さまが俺に「正義の味方だ」と言ってくれたということ。神さまが俺に「そんな感じでいい」と言ってくれということ。ありがとうございます。

 俺は、いつも、こうやってカラスに感謝をしている。神さまに感謝をしている。「ありがとうございます」と言うことによって、カラスに感謝し、神さまに感謝している。

 さて、と。

 もう間違いないと思う。いわば、「テレビの中から」カラスが伝えてくれる。ハシボソガラスや、ハシブトガラス。その「カラス」たちが伝えてくれる。「テレビの中」でも、とくに「テレビドラマの中」から、伝えてくれている。神のつかいとしてのカラスが伝えてくれている。これは事実である。

 そしてもうひとつ。言っておかなければならないことがある。人間のつくったものであるテレビのこと。テレビというものがあり、人はそれを見たり聞いたりしているということ。その、いわば「テレビ」という環境下のこと。たとえば具体的にひとつ言うと、自然でできているテレビというもの。金属その他と言えばいいのか、よくわからないが、まあ、そういうものでできているテレビというもの。自然界で採れたものでできているテレビというもの。そういう意味でテレビは自然である。

 神のつかいは自然である。従って、神のつかいとしての、テレビ。そのテレビが、伝えてくれたということ。俺はテレビに感謝する。神のつかいとしてのテレビに感謝する。ありがとうございます。

 要は、大事なのは、神さまが言ってくれるということ。「テレビの中」で、ハシボソガラスを通じて、言ってくれる…。「テレビドラマの中」で、ハシボソガラスを通じて、言ってくれる…。俺はそういうようなことを言いたいのである。

 俺は、神さまとコミュニケーション(やりとり)をしている。

 人類全部。つまり全世界の人間。繰り返す。全人類。全世界の人間。その全人類、全世界の人間、その中で、たったひとり。俺だけ。俺、安達憲一郎というひとりの人間。くどいようだが、神さまとコミュニケーション(やりとり)をしているのは、全人類の中でただひとり。俺だけである。で、その俺に、そのコミュニケーションのやり方として、今回書いた、「テレビの中」で、「テレビドラマの中」で、そういうものが加わったということである。コミュニケーション・ツールがまたひとつ加わったということである。

 コミュニケーション・ツール。つまり、コミュニケーションの手段というか道具というか…。それとして、またひとつ、テレビが加わった。俺は、このことをみんなに伝えたい。このブログを読んでくれるみんなに伝えたいと思った。このブログに書いておきたいと思った。神のつかいと、神さまに、感謝とともに、ここに記しておきたいと思う。

 ハシボソガラス、ありがとう。

 テレビ、ありがとう。

 神さま、ありがとうございます。