「カラス日誌」としての「立憲民主党・小西ひろゆき参議院議員候補街宣=稲毛海岸駅頭」

立憲民主党・小西ひろゆき参議院議員候補街宣=稲毛海岸駅頭。この街頭宣伝活動は2022年6月24日(金)の午後6時から8時にかけて行われた。俺はこの街宣の前半、午後6時から7時。この様子をビデオカメラで撮影した。そして俺はユーチューブチャンネル上で、この撮影された動画を「カラス日誌」として公開した。だから、「カラス日誌」としての「立憲民主党・小西ひろゆき参議院議員候補街宣=稲毛海岸駅頭」。この動画は、次のURLから見れる。

カラス日誌 2022年6月24日 午後のウォーキング  1

https://youtu.be/XP8zMC9KvWs

カラス日誌 2022年6月24日 午後のウォーキング  2

                               (「1」の続き)

https://youtu.be/ikV89-LpSGA

神さまによる電卓を使った俺へのメッセージ = 2022年6月10日・夜

◎「神さまによる電卓を使った俺へのメッセージ」というタイトルで、このブログに投稿されている写真について、俺はここで少し説明を加えてみようと思います。

◎まず、この写真にある、電卓の、表示部分の数字など。

◎これは、この電卓の表示部分の数字などは、俺がこの電卓に打ち込んだのではありません。もちろん、俺以外の誰かが打ち込んだのでもありません。誰も打ち込んでいない。でも、誰かが打ち込まなければ写真にあるようにして、電卓に数字などがあらわれるわけがないですよね。

◎じゃあ、なぜ、電卓に「表示」があらわれるのか?

◎この電卓は、太陽電池式なので、充電のことを考えて、常に、窓際に置いてあります。この電卓は、俺が、いつも、日のあたりそうな、窓際の一角に置いています。そして、たとえば、朝、いつものように、カーテンを開けて電卓を見ると、写真にあるようなもの、つまり「表示」が、「数字など」が、誰に打ち込まれたわけでもなく、この電卓にあらわれている、ということなんです。あるいは、たとえば、夜に、部屋に電気をつけ、電卓を見ると、数字などがあらわれている、ということなんです。

◎この、電卓にあらわれる数字などは、神さまによる、電卓を使った、俺へのメッセージです。つまり、電卓は、神のつかいである。電卓という神のつかいを通(とお)して、神さまが俺にメッセージをくれているんです。これが、事実でなんです。

◎この、神さまによる電卓を使った俺へのメッセージは、次の2つの性格を持っています。その2つの性格と何か?ここで、大事なことなので、ゴチック化し、次のように整理しておきたいと思います。

このメッセージは、神さまによる、メッセージであるということ。

このメッセージは、あくまで、俺だけ(俺個人)にあてたものである、ということ。安達憲一郎という一個人、俺だけにあてたものである、ということ。

◎俺は、この、神さまによる電卓を使った俺へのメッセージの、その意味を。つまり、神さまは、この、電卓の「表示」によって、数字などによって、何を言おうとしているのか、何を伝えようとしているのか。俺は、そういうものについては、あまり、よくわかりません。ですが、わからないなりにも、これについて、俺が思っていることを次に書いてみます。

◎俺と神さまが、いつも、コミュニケーション(やりとり)をするうえで使っている、いわば、数(かず)についての、定義というか、意味づけというか、そういうものがあります。まず、それは、その定義づけとは、意味づけとはどういうものか。それを、次にまとめて書いてみます。

◎「1」は「そんな感じでいい。」である。「2」は「相棒だ。」である。「3」は「正義の味方だ。」である。「4」は「そんな感じでいい。」である。「5」は「安達だ。」である。「6」は「憲一郎だ。」である。「7」は「友達だ。」である。「8」は「ウォーキングだ。」である。「9」は「いかにも安達だ」である。「10」は「仕事だ」である。「11」は「そんな感じでいい。」である。「12」は「平和だ。」である。そして、「13」以降は、つまり、「13」、「14」、「15」、「16」、・・・。これらは、すべて、「そんな感じでいい。」である。こういうもの。

◎俺は、俺と神さまが、いつも、コミュニケーション(やりとり)をするうえで使っている、いわば、数(かず)についての定義。いつも、コミュニケーション(やりとり)で使っている、いわば、数(かず)についての意味づけ。その「定義づけ」なり「意味づけ」を使い、いつもあらわれる、ここで言うところの、「神さまによる電卓を使った俺へのメッセージ」を、つまりは、電卓の表示部分の意味というようなものを、なんとなく、理解しようとはしているんです。だけど、さきにも書いたように、その数字などの、その意味というようなものを、俺は、あまり、よくはわかっていないんです。

 

 

 

「カラス日誌」としての 「社民党全国街宣②飯田橋駅西口」

社民党全国街宣②飯田橋西口。この街頭宣伝活動は2022年6月6日(月)の午後5時半から6時半にかけて行われた。俺はこの街宣に参加しながら、その様子をビデオカメラで撮影した。そして俺はユーチューブチャンネル上で、この撮影された動画を「カラス日誌」として公開した。だから、「カラス日誌」としての「社民党全国街宣②飯田橋西口」。この動画は、次のURLから見れる。

カラス日誌 2022年6月6日 午後のウォーキング  1

https://youtu.be/xNei5Nkt0JI

カラス日誌 2022年6月6日 午後のウォーキング  2  (「1」の続き)

https://youtu.be/ARZQHtgPI98

 

神さまによる電卓を使った俺へのメッセージ = 2022年6月6日・夜

◎「神さまによる電卓を使った俺へのメッセージ」というタイトルで、このブログに投稿されている写真について、俺はここで少し説明を加えてみようと思います。

◎まず、この写真にある、電卓の、表示部分の数字など。

◎これは、この電卓の表示部分の数字などは、俺がこの電卓に打ち込んだのではありません。もちろん、俺以外の誰かが打ち込んだのでもありません。誰も打ち込んでいない。でも、誰かが打ち込まなければ写真にあるようにして、電卓に数字などがあらわれるわけがないですよね。

◎じゃあ、なぜ、電卓に「表示」があらわれるのか?

◎この電卓は、太陽電池式なので、充電のことを考えて、常に、窓際に置いてあります。この電卓は、俺が、いつも、日のあたりそうな、窓際の一角に置いています。そして、たとえば、朝、いつものように、カーテンを開けて電卓を見ると、写真にあるようなもの、つまり「表示」が、「数字など」が、誰に打ち込まれたわけでもなく、この電卓にあらわれている、ということなんです。あるいは、たとえば、夜に、部屋に電気をつけ、電卓を見ると、数字などがあらわれている、ということなんです。

◎この、電卓にあらわれる数字などは、神さまによる、電卓を使った、俺へのメッセージです。つまり、電卓は、神のつかいである。電卓という神のつかいを通(とお)して、神さまが俺にメッセージをくれているんです。これが、事実でなんです。

◎この、神さまによる電卓を使った俺へのメッセージは、次の2つの性格を持っています。その2つの性格と何か?ここで、大事なことなので、ゴチック化し、次のように整理しておきたいと思います。

このメッセージは、神さまによる、メッセージであるということ。

このメッセージは、あくまで、俺だけ(俺個人)にあてたものである、ということ。安達憲一郎という一個人、俺だけにあてたものである、ということ。

◎俺は、この、神さまによる電卓を使った俺へのメッセージの、その意味を。つまり、神さまは、この、電卓の「表示」によって、数字などによって、何を言おうとしているのか、何を伝えようとしているのか。俺は、そういうものについては、あまり、よくわかりません。ですが、わからないなりにも、これについて、俺が思っていることを次に書いてみます。

◎俺と神さまが、いつも、コミュニケーション(やりとり)をするうえで使っている、いわば、数(かず)についての、定義というか、意味づけというか、そういうものがあります。まず、それは、その定義づけとは、意味づけとはどういうものか。それを、次にまとめて書いてみます。

◎「1」は「そんな感じでいい。」である。「2」は「相棒だ。」である。「3」は「正義の味方だ。」である。「4」は「そんな感じでいい。」である。「5」は「安達だ。」である。「6」は「憲一郎だ。」である。「7」は「友達だ。」である。「8」は「ウォーキングだ。」である。「9」は「いかにも安達だ」である。「10」は「仕事だ」である。「11」は「そんな感じでいい。」である。「12」は「平和だ。」である。そして、「13」以降は、つまり、「13」、「14」、「15」、「16」、・・・。これらは、すべて、「そんな感じでいい。」である。こういうもの。

◎俺は、俺と神さまが、いつも、コミュニケーション(やりとり)をするうえで使っている、いわば、数(かず)についての定義。いつも、コミュニケーション(やりとり)で使っている、いわば、数(かず)についての意味づけ。その「定義づけ」なり「意味づけ」を使い、いつもあらわれる、ここで言うところの、「神さまによる電卓を使った俺へのメッセージ」を、つまりは、電卓の表示部分の意味というようなものを、なんとなく、理解しようとはしているんです。だけど、さきにも書いたように、その数字などの、その意味というようなものを、俺は、あまり、よくはわかっていないんです。